活動報告

講演会

中国経済クラブ(苅田知英理事長)は4月24日、広島市中区の中国新聞ビルで講演会を開いた。映画評論家で共同通信客員論説委員の立花珠樹氏が「戦後80年 広島と映画」と題し、長年の取材で出合った名作や映画人の逸話を広島との関わりを交えて語った。要旨は次の通り。

私は1949年生まれの「団塊」世代。少年時代の楽しみといえば、映画と野球だった。子どもの頃の楽しみを持ち続け、今、皆さんの前でお話ができる幸運を思う。

映画担当記者になった90年代初め、子どもの頃に胸をときめかせた映画の作り手がまだ活躍していた。管理職的な仕事を経て60歳を前に現場取材に戻り、かつての縁が生きて映画人たちにロングインタビューすることができた。シリーズ「私の十本」などに結実した。

広島との出合いで一番大きかったのは新藤兼人監督。52年公開の「原爆の子」は、占領が解けた日本で最初に封切られた、原爆がテーマの劇映画だ。独立プロダクションで自主製作することになり、劇団民芸の宇野重吉さんを口説いて製作費の半分を出してもらったという。

乙羽信子さん演じる小学校教師が島で自転車をこぐ冒頭のシーンは、実に穏やか。被爆時の回想シーンさえ、一つ一つが物語になっているのに驚く。同じ原作による関川秀雄監督の「ひろしま」(53年)は逆にリアルな描写で知られ、これも絶対的な価値がある。

原爆詩の朗読をライフワークとする吉永小百合さん主演の「愛と死の記録」(66年)は、作家大江健三郎さんの「ヒロシマ・ノート」にも出てくる実話を基にした作品。原爆症で亡くなる青年を渡哲也さん、後を追う恋人を吉永さんが演じた。当時の広島の街がきれいに写り込んでいて、それも魅力になっている。

「夕凪(ゆうなぎ)の街桜の国」(2007年)も、とてもいい映画。こうの史代さんの原作漫画も素晴らしい。何げない日常の中に、なぜ戦争が、原爆がいけないのかがちゃんと描かれている。原爆や戦争について伝える上での課題は、どうやって若い人に伝えるか。こうのさんのスタンスには力がある。

新藤監督へのインタビューをまとめた著書「新藤兼人 私の十本」を読んだ広島出身の若い女性が、東京で「新藤兼人平和映画祭」を始めた。「戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭」に改名し、今夏で14回目。記憶を語り継ぐのに、映画が果たせることが確かにある。物語になって普遍的な力を持つ。

「なぜ私が生き延びて、あの人が死んだのか」―。映画にも描かれた被爆者や、沖縄戦の生存者が語った言葉だ。生き残った人にそんな思いをさせるようなことは、やってはいけない。それを知り、伝えていくことが大事と思う。

中国経済クラブ
  • 事務局長

    宮田 俊範

  • 事務局長補佐

    道菅 宏信

  • 事務局員

    新久 みゆき、冨田 朋恵